今週は、ものの値段について考える機会が何度かありました。
- 自分の主催する教室の価格設定
- 見えないものの値段
- 資格取得のための講座の値段
なぜだか、いろいろな場面において、「値段」について悩んだ。
目次
自分の主催する教室の価格設定
最低価格があるので、それ以上の価格を設定すればいいので、一見簡単に見えた。
でも、その価格は安いのか高いのか。
そこで考えてしまうのが、使うものの原価。
原価を考えてしまうと、「こんなにたくさんいただけない」とか、「儲け主義に走っているのではないかと思われちゃう」などと考えてしまった。
でも、そこは、自分がこれを教えるために取得した資格のための価格や、準備のための私自身の価格、そして借りた教室の値段。
これを加味したら、最低価格は最低価格でしかなくなる。
リピーターのための価格設定も作ろうかな。
などと考え中。
見えないものの値段
見えないものの、人によって値段が違うことがある。
見えるものは、売る人によって値段が違うことはあるが、売る相手によって値段が違うことはあまりない。
先に述べた「自分の主催する教室の価格設定」にも通じる部分。
同じ内容が先生によって異なることとはある。
その先生によって、付加価値をつけている場合は、そうあっても不思議ではない。
むしろ、そうやって差別化というか、特徴を明確にして、そこを売りにすることは大事。
付加価値以外の、原価に関わる部分をどれだけ上乗せするかも考えることが必要。
「もらえる人から、たくさんもらう」という考えもできるかもしれないが、それはしたくないなぁ。
それやると、絶対あとでもめるだろう。
やはり定価について、なんとなく設定した値段ではなく、明確に根拠のある値段にしよう。
そこの裏付けをもう少し考えることにする。
資格取得のための講座の値段
これは、なかなか難しい。
人によっては、5万でも高すぎると言われる中、何10万円というセミナーに参加してしまったことがある。
そのことに対して、後悔しているわけではないが、人によっては「それ高すぎないか?」とか「めっちゃ安いよね。むしろ安すぎるのが普通になる」という考え方もあるね。
資格取得のための料金では、人によっては「高すぎる」のボーダーラインが全く違ってくる。
この境界の違いを共有するというのは、アンガーマネジメントの考え方に似ている。
- その金額が、高すぎると思っている人もいるだろう。
- 金額が高い方が安心する
残念ながら、資格取得のために払った費用を回収できるとは思っていない。
回収しようとも思っていない。
強がりではなく、自分の学びたいという欲求が常にある以上しかたないこと。
そこへの投資は、この先も惜しまない。
今回、参加を決めたことについて、あれこれ人から言われるかもしれない。
言われるとへこむ性格なので、立ち直れないかもしれない。
アホ呼ばわりされるかもしれない。
学んだことで満足できるか、できないかは学んでみないことにはわからない。
ただ、学びたいと思った理由は変わらない。
そこがぶれることはない。
やってみないとわからないので、やってみる。
やってみる価値があるかどうか見極める。
回収できるかどうかは大事ではない。
少なくとも、本業があるうちはね。