ものの値段について考えてみる

 

今週は、ものの値段について考える機会が何度かありました。

  1. 自分の主催する教室の価格設定
  2. 見えないものの値段
  3. 資格取得のための講座の値段

なぜだか、いろいろな場面において、「値段」について悩んだ。

 

自分の主催する教室の価格設定

最低価格があるので、それ以上の価格を設定すればいいので、一見簡単に見えた。

でも、その価格は安いのか高いのか。

そこで考えてしまうのが、使うものの原価。

原価を考えてしまうと、「こんなにたくさんいただけない」とか、「儲け主義に走っているのではないかと思われちゃう」などと考えてしまった。

でも、そこは、自分がこれを教えるために取得した資格のための価格や、準備のための私自身の価格、そして借りた教室の値段。

これを加味したら、最低価格は最低価格でしかなくなる。

 

リピーターのための価格設定も作ろうかな。

などと考え中。

 

見えないものの値段

見えないものの、人によって値段が違うことがある。

見えるものは、売る人によって値段が違うことはあるが、売る相手によって値段が違うことはあまりない。

先に述べた「自分の主催する教室の価格設定」にも通じる部分。

同じ内容が先生によって異なることとはある。

その先生によって、付加価値をつけている場合は、そうあっても不思議ではない。

むしろ、そうやって差別化というか、特徴を明確にして、そこを売りにすることは大事。

付加価値以外の、原価に関わる部分をどれだけ上乗せするかも考えることが必要。

「もらえる人から、たくさんもらう」という考えもできるかもしれないが、それはしたくないなぁ。

それやると、絶対あとでもめるだろう。

やはり定価について、なんとなく設定した値段ではなく、明確に根拠のある値段にしよう。

そこの裏付けをもう少し考えることにする。

 

資格取得のための講座の値段

これは、なかなか難しい。

人によっては、5万でも高すぎると言われる中、何10万円というセミナーに参加してしまったことがある。

そのことに対して、後悔しているわけではないが、人によっては「それ高すぎないか?」とか「めっちゃ安いよね。むしろ安すぎるのが普通になる」という考え方もあるね。

 

資格取得のための料金では、人によっては「高すぎる」のボーダーラインが全く違ってくる。

この境界の違いを共有するというのは、アンガーマネジメントの考え方に似ている。

  • その金額が、高すぎると思っている人もいるだろう。
  • 金額が高い方が安心する

 

残念ながら、資格取得のために払った費用を回収できるとは思っていない。

回収しようとも思っていない。

強がりではなく、自分の学びたいという欲求が常にある以上しかたないこと。

そこへの投資は、この先も惜しまない。

 

今回、参加を決めたことについて、あれこれ人から言われるかもしれない。

言われるとへこむ性格なので、立ち直れないかもしれない。

アホ呼ばわりされるかもしれない。

学んだことで満足できるか、できないかは学んでみないことにはわからない。

ただ、学びたいと思った理由は変わらない。

そこがぶれることはない。

やってみないとわからないので、やってみる。

やってみる価値があるかどうか見極める。

 

回収できるかどうかは大事ではない。

少なくとも、本業があるうちはね。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.