フィルタリングされている情報

9年前の今日、東日本大震災が発生した。
毎年この日は、Facebookの思い出を確認している。

あの日のこと、だんだん記憶が薄れてきており、振り返りをブログに残しておくことにした。

2016/3/11の振り返り

おはようございます♪
あれから5年。薄れていく記憶と、あの時の行動の意味を少し考えてみました。
まだやり始めたところなので、何とも言えませんが、世の中にはフィルタリングされている情報が多く、そのフィルターをどう見るかという目を持てるかが大事なのかなと思います。

そういう目の話をされた方のレクチャーは、かれかれ10年ぐらい前のことですが、ここにきてあの時の教えが、頭の隅にあらわれてきました。

積雪の予想が変わり、雨の朝ですが、かなり寒いですね。
今日もステキな1日になりますように(*^^*)

4年前は、5年後の振り返りをしているが、その時にもすでに「情報のフィルタリング」について触れていた。

この情報のフィルタリングについては、2008年ぐらいに学んだ話だった。

その当時、渋井真帆さんの塾に通っていた。

たぶん、「日経新聞読みこなし隊」を受講していた時に、新聞の情報はフィルタリングされているという話があったと思う。

その新聞社によって、どういうフィルタリングがかかっているのかという話があり、日経新聞は「経済」というフィルタリングがかかっているとお話しされたように覚えている。

そう。

私の知る情報は、なんらしかのフィルタリングがかかっている。

なので、それ以後はそのフィルタリングがなんであるのかを意識した上で、その記事を読むようになっていた。

 

とはいえ、書いてあることや、報道されていることがすべてだと思っている人も多いのは事実。

伝えようとしている人が、どういう立場の人で、どういう効果を狙っているのかも合わせて考えるようにすると、もう少し冷静に考えることができるのではないかと再確認した。

震災のことについても、COVID-19のことにしても。

そういう気づきになった9年目の311だった。

写真は、その当時、会社に泊まることを決め、その夜に配られた非常食。

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